2010年2月5日金曜日

子供の頃の大都会











先日 茨城の「みらい平」に行った時の事、用事を済ませた後で茨城の友人が、車であっちこっち案内してくれた。
帰りに水海道を通った時に「オラが子供の頃は東京みたいに大都会だった」と言った。
その言葉が凄く印象に残った。  子供の時は映画館があるだけで大きな街だと思った。
私が4才まで住んでた、荒川区南千住(台東区寄りで浅草にも近い場所に住んでいた)
国電(今のJR)や地下鉄それに都電も走ってるし近くに映画館だってあった。
商店街も今はジョイフル三ノ輪と言ってるが、その前は三ノ輪銀座と言い、さらにその前は新開地と言っていた。

その当時は子供ながらに、凄く賑やかな所だと思った。それだけ活気があったと云う事だ。
買い物も今の様にスーパーで何日分も買い込むのではなく、その日の分だけ買い物籠を持って買いに行く、殆んどの人が買い物籠を持っていた。
私の母は人混みでも目立つ色の買い物籠にしていた。その時代は皆さん割烹着を着てたから、後ろ姿だけでは区別がつき難い、そこで買い物籠の色で見分ける、と言った具合いでした。
子供心にその事は良~く覚えてる。確かに、お袋の買い物籠は他の人と違って、はっきり区別が付いたなぁ~!

2 件のコメント:

  1. 昭和な光景が目に浮かびますねえ
    今日、割烹着を着てる方は少ないですものね
    でも、まだ、下町の方って、そういった古き良き昭和がちょこっとづつ残ってたりしますよね
    そういったとこでも、飲みたいなあ、、、

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  2. hirさんの仰る通り、今じゃ割烹着で街を歩いてるのはサザエさんの、お母さんしか印象にないかな?
    (私の感想です)
    そうそう、茨城の友人とはhirさんもご存知の、あのオヤジです。
    あの時に言った言葉がとても印象的だったもので、こう云う話しを書きました。

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